冬休み明けに会ったら髪がボサボサになっているような男に恋したい

 

 こんばんは。随分久しぶりになってしまったのですが、さすがにこのまま今年を終えるのはどうかと思い、重い腰を上げて寒い部屋にこもりマックを叩いているわけです。

少し遡って自分の書いたものを見ていたのですが、半年前に鬱になっていた時が最後の投稿で、アイコンは真っ黒だし無に就職しているということで、皆さんきっとアイツ死んだなと思ってらっしゃったかと思うのですが、こうして生きております。日本語が壊滅しています。

 

とにかく、皆様、本年はたいへんお世話になりました。来年もまたどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

細かく今年一年を振り返ることは結構時間的に厳しいし、私の記憶力や元気が足りないと思われるので、まあ適宜やっていきます。

 

 

 

今年あったこと(順不同)

 

・大学を卒業した

これについては以前の投稿を参照せよ。

 

・東京(の方)に引っ越して、そこで新しい生活を始めた

東京の生活では、お金と時間が必要不可欠であるということを知った。都心に住むことは長者でない限り不可能であり、そうなると比較的近くはあるがそれなりに離れた場所に住むことになる。これがめちゃくちゃ痛手だった。今後どのような進路に決めるとしてもできれば自転車で10分以内の場所に住みたいと思った。多分無理です、京都だけがよい。

 

アズールレーンをインストールした

ひと月半くらい前にアズレンインストールしたんですが、毎日めっちゃやっちゃうので駄目です。建造運がないので余計に駄目。高雄ほしいんですけど一生出ん気がする、クソー。比較的どうでもいい話ですね。

 

・人にサイコパスだろと言われた

人々が生きているところを描いた映画を観たんですが思春期の少年の気持ちが全然分からなかった。バイトで人間関係をやるときに必要な常識的なルール(常識的なルールってちょっと変な気もする、常識はルールみたいなものなので)を守れなかったりあるいは知らなかったりした。自分では伝わると思ってそのまま言ったら伝わらないどころかすごく悪い感じになってしまったことが何度もあった。

他にもエピソードはあるけど、私は結構人の気持ちを考えることができないし、自分が誠実だと思ってやっていることによってしばしば人が傷ついているのだということを、ちょっとずつ自覚して考え始めた。でも単に、性格が悪いだけな気もする。

今まで私によって傷つけられてきた人、ごめんなさい。神のご加護があらんことを。

 

ハイデッガーの良心論の話を聞いたり哲学史の話を聞いたりした

哲学史に関しては、私は4年間ですでに知っている知識のはずだったし、卒論で暑かった人に焦点が当てられているものもあったのだけど、少しずつ知識は正確になり、そして深化しているのだけど、なんかすごく流れちゃった気がする。人に説明できるようにならないと駄目だと思った。ハイデッガーの良心論には私はあまり関心がないことが分かった。

 

・ドイツ語検定を受けた

独検2級取ります!とか言っていたくせに、4級を受け、しかも結構カツカツでした(結果はまだです)。

 

・妹と二人暮らしになった

コミックLOじゃん、とよく言われますが、私は読んだことないです。いやらしい感じ想像しないで下さい違います。妹と二人で暮らすのは結構きつくて、疲れていても帰ると人がいるというのは本当にきつい。これが彼氏とかになったら気が狂うだろうと思いました。ただ、仲が悪い人とならもしかしたら暮らせるかもしれない。でも妹が少しの間いないと途端に家が静かでやることがないような気持ちになり、そういうとこやぞ自分、と思う。まあ1kに一人暮らしが一番いいと思う、というのが今のところの結論です。

 

・バイトをした

東京に来てかなり影響力があったのは多分バイトでした。多くの新しい発見や学びがあり、いざこざや憂鬱や嫉妬や羨望や承認や金や人間や感情や思い入れがあった。これはなんか、いい経験になった、という感じ。世の中には色々な人がいるなあ、と思うのはかなり難しいことだと思った。自分の気持ちというものは自分が思っているより自分を支配している。

 

・書く、ということから離れた

今年は随分日記を書くことをサボったし、スケジュール帳もあまり書かなかった。食べたものの記録も怠っていたし、レポートは書かなかったし、フェイスブックも書かなかった。ラインをすることも減ったし、ツイッターはほとんど「痩せたい」「つらい」「食べすぎた」「ねむい」「にゃーん」しか言ってない。

書かないと書けなくなるんだと思った。魔女宅に出てくるキキの友達が、描けない時は描いて描いて描きまくる、それでも描けない時は、描くのをやめる、って言ってるシーン、あれを信じて、ほとんどは惰性で書いていなかったのだけど、絵を描くのが好きじゃないとそのあとそのうち急に描きたくなるのよ、ってならないんだよ。私はそんなに書くことが好きではないし得意でもなくて、それどころか言葉にするのもそんなに好きではなく得意でもない。でも、言葉を使わずに記憶したり思考したりすることが私はもっと苦手なので、書くしかないんだと思ってそれを選んだはずなのだけど、書けないなと思ったからといって書くのをやめると、大変なことになる。なった。言葉にする時間もなかった、というのも一つの原因ではあると思う。

時間が一番大事だなって哲学的に考えようとすると私はいつも懐疑的になってしまうけど、素朴にはつねにそう思うので、われわれはもっと日常的なことがらからスタートし、直感に沿ってむつかしいことを考えねばならないのだろう。これは倫理やさんとかが大事にしていることだと思っていたんだけどそうではなくて哲学が大事にするべきことで、倫理はその逆なのだ、ということを、英語の先生と一緒に読んだ文章が言っていて、勉強になった。

あ、今年は少し英語の文法が分かって嬉しかった。でも先生にはかなりやる気のない人だと思われていると思う。なんで雇われてるんだろう、と言われたのはつらかった。はは。

 

・何回か京都に行った

京都、あまりにも最高だと思うのだけど、これはすがりつきだったり逃げだったりするのだろうか。それでも構わないけれど、少し残念だ。

 

・鬱じゃなくなった

なんか鬱病治った。どうでもよくなったことが多すぎて、毎日がするする流れていってしまう。でもそんな人生でいいかもしれない。最近、きっと何年かしたらあれもこれも思い出になって、ちゃんとしまいこむ準備がととのうんだろうな、ということをどんなことに対しても思うようになった。こういう素直な歳の取り方なんてしたくなくて、いつまでも何かを悔しがったり、人生で最高の瞬間と思えることがいくつもいくつもあったり、そういう風に生きたいのに、疲れてくると静かで平らかな孤独を求めてしまうし、いくら頑張ろうと思っても私は何かに執着することができず、無理になってくると投げやりに平凡な大衆になってしまいたくなる。こんなにこわがりにならなくてもいいのにね。

 

・痩せなかった

毎日痩せたいと思ってるのに本当に痩せないんですけど、なんでなんですか。あと何年痩せるのを目標にすればいいねん…

 

 

 

さて、来年の目標や心意気ややりたいことや報告や気をつけたいことや最近の気持ちを書きます。

 

・具体的な何人かに感謝し、謝罪する。その手間を惜しまず、そして丁寧に遂行する。誠実さを武器にするのではなく、相手に伝わっているかを重要視すること。

・東京の地理を把握したい。地理を把握しているとその土地をすきになりやすい、というのはあると思う。

・痩せたい。筋肉がほしい。食事への執着をなくしたい。

・フラフープやりたい。

・大学院に受かりたい。来年度合格できなければ私は教員になることにしました。

独検3級を受ける。ドイツ語の中級文法の問題集に取り組む。

・散歩をしたい。東京ではあまり季節を感じることができなくて、私は全部失くしてしまったんだと思う。

・インターネットの人に会ってみたい。具体的な人は想定しておらず、単にオフ会といいうものに参加してみたいです。

・家族に、私の食生活には一切口を出さないことを約束させる。絶対に。

宝石の国の漫画を買う。これは2日にやります。宝石の国みなさんもみたほうがいいですよ。

・少し農家みたいなことをしたい。私は本当に農家になりたいのだけど、お金がない。あと、本当は日焼けもしたくないし、肌荒れもしたくなく、高い服に身を包んで銀座を歩く顔のいい女になりたい。結構実現不可能なことばかり私はのぞんでしまうな。

・早く寝る。早く起きるのは諦める。やることを一つにするというのはとても大事なことだけど簡単なことではない。

・すぐにググる。これで私もオタクに近づけるぞ。あとパソコンをめっちゃ使う。

・テレビを見る。

・姿勢をよくする。美しい人になりたい。

・ピアノの練習をする。子犬のワルツが弾きたい。

・たまにはお墓参りをする。帰ってきたら線香をあげる。

・本をたくさん買う(買ってもらう)。読まなくても買うのは大事。

・気になったらやるべきことがあっても中断して本を読んだり調べ物をしたりしたい。そういうのが大事。分かってはいる。だから早く寝るという目標も後回しにされてよい。

・訓練をしている、という意識を持って、ちょっとやってみること。多分私にはそういうのが有効な気がする。

・大事そうなツイートを流さない。だんだん分かってきましたが、多分私には今、立ち止まるということが欠けているっぽい。3月に、今年は休憩していいんやと思っていたけどおそらく全然できなかった。なるほどにゃんになりました。

・ヘラヘラしない。自分でも嫌だと思ってるんだから、いい加減やめたい。妹たちとそれぞれ得意なことがあっていいよねという話をしていて、妹①は絵が描けるし習字もできるしまじめだしいいよね、妹②はピアノが弾けるし愛されてるし女子だしいいよね、となったんだけど、私の得意なことってないなと思ったら、細い・愛想がいい・頭がいい等と言われ、私は本当に無い物ねだりだし、というより見るもの乞食なんだなと思った。満足してもいいのかもしれないけど、満足するには足りない。これいい感じに解釈していい感じに納得すれば、めっちゃ貪欲な人間てことだし、自分もしかして学問に向いているのでは????

 

 

 

まだまだ出てくるかもしれないけれど、その都度更新していけばいいだけのこと。人生を達観するのは早すぎるかもしれず、仕方なく人生をやっている。みんなそうだ。

もう年も暮れ、人生は何色?

 

 

 

所詮無理って思うでしょ

 

欲望の虜なのでもういっそと思ってやりたいことを考えてみました。

順不同です。

 

 

・痩せたい

これはもう無限に言っているけれど、多分痩せたいって言っているうちにその欲望が肥大化してしまって、いまや手が付けられないものになってしまった。一番ヤバかった時よりも8キロくらい減った、それでも痩せたい。太ると本当につらいしイライラするし、痩せれば人生の80%くらいは良くなると思っている。あと3キロ痩せたらいいと思う、5キロ痩せたら危ないと思う。

 

・大食いになりたい

大食いキャラが好きなので。ドーナツを無限に食べたりとにかくおかわりしまくったりしたい。

 

・毎日の食事はできればせずに生きていきたい

 

・家を建てたい

先日いとこの家に泊まらせてもらったんだけど、とにかく都会のファミリー向け住宅地に、画一的だけどちゃんとおしゃれな家を買って住むというのは絶対に無理だと思った。木目柄のプラスチック素材の床と柱、白とナチュラルベージュを基調とした空間、システムキッチンにシステムバスにシステム洗面台(?)、無理。

実家が木の家で本当によかった。

トイレットペーパーかけるやつとか細かいところまでこだわって家を建てたい。作り付けの本棚がほしいしキッチンは絶対L字型にしたくないし風呂場にでかい窓がほしいしガラス張りのバルコニーみたいなところがほしい。ロフトから屋根に登りたい。豊かなカーテンのかかっている部屋に豊かなベッドを置いて朝完全な感じで目覚めたい。ベランダは広いほうがいい、できれば屋上がほしいけど広い庭があるならいらない。ハーブを植えたいし花も木も植えたい。季節ごとにそれぞれ花が咲くように色々な花を喧嘩しないように植えるんや。

アパートに一人暮らしなら激ヤバでなければ全然構わないし内装とかも全然気にしないんだけど、都会でファミリーを形成するのマジで無理以外の気持ちがない。最近はだから田舎に住みたいという気持ちが出てきた。

 

・実家をどうにかこうにか存続させたい

これは大変な話なのですが、あと20年家を保たせてくれるなら私が継ぎたい。でもすぐには無理だし結婚もあまり考えていないので困る。あと金がないから維持できない。

 

・働きたくない

 

・引きこもりを真剣にやりたい

何もない日というのが最近なかったので昨日ついにバイトを休んで休日を手に入れた。休日が続きすぎて暇でしょうがない、ってなってやっと本を読んだりアニメを見たりできるようになる。たまに休みが1日あっても何もせずに過ごしてしまうし、結局自責の念が生じてしまう。

 

・顔を小さくしたいのでReFaがほしい

25,000円です、買ってください。

 

・農家になりたい

自分に向いている職業は何かなと考えると、最近やっぱ農家になるといいんじゃないかなと思う。土地はある。でも金はないし体力も人手もない。農家になるには結婚するべきなんだろうけど若い夫婦が農家をやってもたかがしれている。

でも銀行で働いたりしたくないし、営業職とかこわいし、公務員にもなりたくないし、研究者になるには興味も能力もやる気もない。基本やる気の問題だしやれば大体のことはできるだろうけど、なんか大変そうだなーと思ってすべてが億劫になってしまう。農家ならあまり億劫にはならなさそうなんだよな。まあどんな労働もしたことないので実際がどうなのか全く分からないけど。

 

・本を読みたい

教養主義万歳と思っているので教養があるのかと思いきや全く教養がないので、本を読みたいです。本を読むのは好きだけどでもすぐに飽きてしまう。頭を使うより身体を動かすほうが向いているのかなあ。

本を全然知らないので本屋に行っても立ち尽くしてしまうし、古本屋に行って何をみればいいのか全然分からない。インターネットの人たちを見ていると本当にすごいなと思う。かっこいい。

 

・学歴がほしい

東大生だったら嬉しいので東大生になりたい。もし地元に戻るのであれば、そのくらいデカいものを持ち帰らないと肩身狭い気がしてしまう。自意識過剰ですかね、様々なことに関して。

 

・アパレルのバイトをしたい

 

・ファッション雑誌や美容雑誌を買って読み込みたい

 

・snidelの服がほしい

高いけどマジでかわいい。

 

・今年の冬は毛皮のコートを着たい

 

クロムハーツのクロスの指輪がほしい

めちゃくちゃ気に入っていた指輪をトイレに落としたので新しい指輪がほしい。

 

・ブランドコスメを使いたい

高い化粧品がどれくらいいいのか知らないけど、なんかカッコいいやん。

 

・お菓子を作りたい

チェリーパイが一番作りたくてあとは洋ナシが手に入ったらタルトとかにしたい。ゴルゴンゾーラとマスカットのタルトとか作りたいと思ったけどうまいのかな。シフォンケーキを焼けるようになりたい。

材料費をくれたら作ったやつ全部あげるので誰か材料費下さい。

 

・ビーズで遊びたい

昔どハマりしてたけど今はそういうのどっか置き忘れてしまった。細かい手作業は比較的好きなのでやりたいなあと思いました。

 

・ダンスを踊れたらうれしい

 

・ピアノを弾けたら嬉しい

 

・歌が歌えたら嬉しい

 

・個々の人間に合わせて何かを提案したりサポートしたりするのはわりと好きだし向いていると思うので、そういう仕事に就けたら結構いいんじゃないかなと思う。自分ではできないけどやってる人をマネージメントしたり的確なことを言ったりできそうな気がするじゃん、洞察力が優れているので。

洞察力が優れていると言われているんですけど、この前嬢にあった時彼女の人間を見る力と正しい言語化能力に圧倒されたので、別に私くらいの人はたくさんいると思った。

賭け事や勘を働かせなければならないことや人の裏をかく仕事は絶対にできないと思う。

 

・新聞記者になりたい

なんか新聞記者いいなって思った。なりたい。

 

・正しさいついて考えたい

そういうのメタ倫理っていう分野に属するぽいですね、そういうのに興味がある気がする。

 

・自転車に乗りたい

最近チャリ乗ってなさすぎてメランコリー号めちゃくちゃ汚い状態で外に放置されてる。というかグリップを巻き直さないと大変なことになっている。

 

・面白いバイトをしたい

クリーニング屋とか歯科助手とかを考えてるんだけど、もっとなんか骨董品屋とか超コアな純喫茶とかタバコ屋とか家政婦とかケーキ屋さんとか、それか物を作るバイトとか給食センターとか、そういうところでバイトしたい。

そういえばガソスタでバイトするの夢だったからやりたいかも。でも近所にガソスタないと思う。

 

・ドイツ語の電子辞書がほしい

 

・布団を干したい

ベランダが使いにくいせいで布団を出しにくくて全然干せてない、でも干したい。おひさまのにおい〜〜〜、ってなりたい。

 

・料理系の仕事ってちょっとしてみたい

喫茶店でナポリタンを作りたいし、カレー屋でスパイスを鍋に入れたいし、ラーメン屋でネギを打ちたい。以前言ったことがあるけど、哲学書が置いてあるいい感じの喫茶店を営みたいよう。

 

・ハムスター飼いたい

可愛いから。

 

・夏にとどまりたい

今年はアスファルトに寝転がったりしなかったし花火もしなかったし流れ星を探しながらアニソン聞いたりしなかったし、全然駄目。

 

・オペラを観たい

多分クラッシックの中でピアノとかオケとかより歌が一番好きだと思う。さらに劇なんだからオペラ最高じゃん。バレエも観たいです。

 

・色々な種類の包丁がほしい

三徳包丁しかないけど、菜刀がほしいし牛刀もカッコイイからほしい。でも自分で包丁研げません。

 

・早く寝たい

最近とにかく寝る時間が遅い。12時に寝たい、無理。早寝早起きを愛していきたい。

 

・走りたい

無駄なものを全部削ぎ落としたい。捻挫が治ったら走ろうと思います。めんどくさくて絶対やらなそう。筋トレは最近しているけれど、無駄なものがなくなっていく感じはあまり味わえない。

 

・アップルウォッチとアイポッドがほしい

音楽を聞く習慣があまりにもないので音楽を聞くようにしたいのと、歩数計がほしいのと。

 

・朝テレビを見るようにしたい

テレビを見る習慣もマジでない。いとこの家にいる間朝も夜もテレビ見てて、番組にイライラしたりするけどぼーっとしてるだけで情報が入手できるのはかなりいいなと思った。昼時の番組より朝のニュースのほうがシャキッとしていて無駄がないように思うので、できれば朝ニュースを見たいなと思いました。まずテレビをつける習慣をつけるところから始めないといけないんだけど、なにせ音のある生活が無理なので結構難しい。換気扇とかエアコンの音も気になるしパソコンの機械音みたいなのも気になるし冷蔵庫の音も気になる。

 

・散歩が得意になりたい

散歩には上手い下手があるし、慣れ不慣れもあると思う。私は出かける段階で散歩に幻想を抱きすぎてしまって散歩に失敗してしまって、うまくいったことが全然ないので、もっと悠長に散歩できるようになりたい。散歩が上手い人は風呂好きなイメージ。私は風呂に興味ない。

風呂で思い出したんだけど、金持ちの人が女の子をホテルに誘ったらいいホテルとってバスタブにバラの花びら浮かべてバラの花束用意するっていう話を聞いたんだけど、さすがに趣味悪過ぎでしょ(笑)

バラの花束をもらって喜ぶ女の子の気持ちを私はあまり理解できないので、そういうとこやぞってまた人に言われるかもしれない。

 

・不要な語を使うのをやめたい

めっちゃ、マジで、すごく、ちょっと、なんか、もう、本当に、とか、等の言葉を異常な量使ってしまうのですが、これをやめたい。不誠実な感じがする。でも何もつけずにただ好きとか嫌とか言うのも苦手、どのくらい本気にしていいか分からなくなる感じがする。

 

  

文字に起こしてみるとそんなに大したことなかった。

私が高校の頃やってたブログに1000ラブっていうコーナーがあったじゃないですか(伝われ)。あの機能がほしい。

やりたいことリストを作るのであればもっと具体的にしたほうがいいと思いました。具体的にしすぎると強迫観念みたいにならないか心配だけど。

 

 

私の人生の今後に期待して下さい、期待されないと生きていけない。

 

どこにいても人間は孤独

 

 

ゆるやかに解放されていってる

 

 

 

京都駅に降りた時ただいまって大声で言いたくなった。ホームシックだったので。まだ3ヶ月しか経っていないけど、ホームシックって大抵その場所を離れてから時間が経っていなければいないほど重篤なものになりやすいものだと思う。ホームシックほとんど経験したことないけど。

 

そういう気持ちだったので、京都駅にいるクソ観光客に何も感じることなく歩けたし、市バスが来なくて来ても人多すぎでしかもクソ時間かかってもまあこんなもんだよなって思えたし、ホテルのフロントの人の感じが悪くても別にいっかってなった。優しい気持ちで生きていくといいことがたくさんあると思う。

 

もちろん、非日常だったので、一切時間気にしなくてよかったというのはデカい。

 

ホテルで水垢の付いてそうなグラスで泡だらけのビールを呑んで、シャワーとトイレの場所を確認して、香水をつけ直したりした。安くて新しいカプセルホテルだったのでそういうビールでも許せたけど、あるなら呑もうっていうの貧乏性出たなって感じでちょっと恥ずかしかった。そういうことを思うのをやめていったほうがカッコいいぞ。

 

 

 

餃子を食わずに焼き鳥を食った。造りがうますぎる。なまものが好きすぎる。実家に帰ってすぐ夜中なのに馬刺しと刺身を食べてしまうくらい好き。毎日刺身食べたい。でも餃子も好きです。次は餃子と親子丼を絶対に食べたいしできればホットケーキも食べたい。

というか白梅町周辺にこんなにも思い入れるとは思わなかった。京都っぽくないし。まあ京都だけど、自分がその辺出歩いてるだけで自分のイメージが形成されてしまうの、普通だろうけど気に入らないといえば気に入らない。でもガイドブック通りに好きになるのも気に入らないし、通ぶってんのも気に入らない。

潔く初心者をやっていくのがカッコいいと思う。串八も絶対行きたい。

 

焼き鳥屋の大将自分のこと覚えててくれたしサービスしてくれてありがたかった。東京でこういうの全然ない気がするし、地元は覚えてくれていたとしても心地いいサービスって全然ないと思う。そもそも呑み屋全然ないけど。

田舎の若者ってどこで誰と酒を呑んだりするんだろう、ずっとその場所にいるなら何も思わずに済むだろうけど、私からするとなんて可哀想なんだろうという気になってしまう。余計な世話を焼いてしまった。

京都が好きなので完全に贔屓しています。

 

人に会った。髪を切って若返っていた。ターボライターがぽくないと言われた。はい。機嫌がよかった気がした、思い込みたいだけかもしれない。

あの人は徳でやっていっている人だと思う。でも社会でいい感じにやっていけている人は徳がある気もするので、徳があればそれでいいのかもしれない。たとえ徳だけで生きていても非難するようなことは何もないだろう。

 

 

 

京都にわざわざ行って髪を切った。今までやってもらってためっちゃタイプだったお姉さんがいなくなってしまったためにスパとトリートメントただだった。美容院で最後にスタイリングしてくれるけど、新しいお姉さんあんま趣味よくねえなと思った。前のお姉さんがいいよう。

月1で美容院行って髪を整えたりトリートメントをしたりしたほうがいいらしい。世の中の人は本当にそんな頻度で美容院に通っているんだろうか。金があり顔がいい人は月1美容院でどんどんよくなっていくんだろうけど私は年3回くらいでいいや、のばしてるし。

 

嬢に会った。キャバ嬢の友達とかではないです。「とか」の使い方ものすごくガバガバな気がしてきた。あの人はバリバリのキャリアウーマンになるだろうなと思った。カラースーツとかも似合うだろう。

仲のいい人に、この間柄は混迷していると言われたらしい。情事ではなく。変なの。そういう混迷を私はもしかしたら誰とも持ったことがないんじゃないかなと考えながら聞いていたけど、まずそれ本当に情事じゃないんか?と思っちゃったしそういうとこが性質を表してんだよな。

男がいないと生きていけないタイプの人間。はい。

矛盾許容論理の人なので様々な矛盾する気持ちをたくさん持っているよ。

 

こないだ私がメンヘラみたいなことを言っていたときにちょっと喧嘩みたいのしたんだけど、その弁明みたいなのをした。論理的に整合性がなかったけどそのせいではなく、全然頷けないっていう顔をしながら終始話を聞いてくれていた。20年後に人々と再会するのがすごく嫌。

20年間の、その人が積み重ねてきたものや、その人に積み重なってきたものを目の当たりにするのは耐えられない。

 

姉妹というのは本当に難しいし、自分のあらゆるところに浸透しているんだなと思った。ああ自分は長女なんだ、と思った。2番目は一番下の気持ちも一番上の気持ちも分かるし、見ているだけなんだなと思ったし、一番下は、分かってるし穏便なんだろう。何もわかっていなくても傲慢で、それでも私のまわりがうまく回っているのは、2番目や一番下の人々が鋭利に刺してきたり柔和さを望んだりしてくれることに依っているんだな。

 

われわれの持つ、何か、例えば空気の質感とか、空の色と感情とか、痛覚と生きている心地とか赤の他人の言動とか、生命あるもの全般とか(動物や魚や人間をキモいと思ってはいるけど多分それとは違う話)、そういうものへの慈しみや感受性は、多分田舎特有のものなんやろう、という話をした。多分そうなんだろうと思う。悪い人間が本当にいるというの、私には衝撃的すぎる。

晴耕雨読という言葉はとても都会的な感じがするのよね。

 

もらった本の主人公、私は昔ああいう人が好きだったかもしれないけど、今はなんか違和感を感じてしまった。私が擦れているだけかもしれない。

 

 

 

古本市に行った。夏だった。京都にいると夏ってだけでいつでも泣きたくなるしめちゃくちゃなはっちゃけ方したくなる、京都はすごい。多分我に返る瞬間が多くありすぎるからだと思う。

人に会った。どうするのが最善だったか全然分からなかった、あーーー人!!!嫌だと思われたくない気だけはあったけど正直関心を示す態度としては全然なってなかったと思う。おかしい。

遠いなと思った。嬉しかったけど。すみません。

 

今の気持ちはこんな感じ(「虚無なんです」、って言った)なんですけど何かカクテル下さい、って言ったら、深泥池色のカクテルを作ってくれた。そんな色なわけないだろ。

言語化するのは難儀だし、いつも温度で理解してほしいと思ってしまう。なんでこんな風に思うようになってしまったんや。はーーー。おいしかったからいいけど。

ちなみに嬢には分かるが他の人には正しく伝わらないだろう話をしています。

 

3軒目で騒いでいたら朝になってた。空を見て綺麗だとか思えばよかった。

 

 

 

寝坊してチェックアウトの時間に間に合うわけもなく、結局千円払うことになってしまった。こんなことならもっとただでビール呑んでおくべきだった。

外国人の香水がくさかったし、ラーメンとか酒とか睡眠時間とかで吐きそうだったし、香水はつけなかった。

 

曇りの日って変に眩しい日が多いと思う。体内の何かが溶け出しているなあという気分を作り出しながら、木屋町先斗町河原町を四条から三条まで行ったり来たりした。

そういえば新月の夜も明るいんですよ。

 

人と会った。ぎこちない雰囲気の中で少しずつ不和を積もらせながら本屋に行ったりコーヒーを飲んだりした。今後もうまくはいかないと思う。世の中はそういうもんだと思う。

人に対しての気遣いをする、それ以上でもそれ以下でもない。安全でもあり適切でもある範囲内での言動。

 

 

 

観察力がものすごく衰えている気がする。

というかとにかく浮ついていて自意識にしか興味を持っていなかった。恋とかしていた頃はあんなに、本当に瑣末なことにさえも気がついて一喜一憂していたのに。言葉遣いの違い、歩く速度の違い、筋肉の変化、選ぶ表情の変化、気遣いの仕方、ものすごく曖昧なものすべて、気づいていたというか深読みしていただけかもしれないけど、とにかくそういうの全部が気になって仕方なかったのに。

最近批評家みたいな観点になっている。恋していけよ、時代は愛だぞ!!!

好意を持っていると思っているつもりの人に対して、自分のことをなんて呼んでいたかとか、いつどんな表情をしてこういう気の遣い方をする人なんだなとか感じて、そういうのを何も気にすることができていなくてめちゃくちゃ後悔してるし反省もしてる。

 

恋すると普段と言葉遣いが違うなとかこの人の中に何か新しいものが入ってきたんだなとか気づくので、学術書もそんな風に読めばかなりいいことが起こると思う。フッサールを読みながら、この言葉この前と違うけどなんでそういう風になったんだろうとか、この概念を持ち出すときに前だったらこんな気持ちの顔してたのになんで今はこんな風に使うのとか、これ実は暗にあの人のこと言ってるんじゃないのとか、そういうの恋したら絶対気がつけると思う。

魅力的な哲学者いたら紹介してください、イケメンがいいです。

 

 

 

ゆるやかに解放されていってる

確かにそう思う。人から。土地から。

興味を失っているのでもあり、ちゃんと慣れていっているのでもあり、確かに人間への感情を持たなくて済むようになっていっているということでもある。

 

これでいいんや、と思わずにいられないこともあるし、これでいいんや、と思うのにひどく苦労することもある。

 

まあ、ふつうだろうけど

 

本当にもう夏は終わるんだろうか、夏は短すぎる。

京都よかったなあ。特に天気。

 

 

 

仕方のないことが多すぎるということについて、われわれは何をどう引き受けるべきなのか

 

 

 

最近洗面台に立って老けたなと思うことが増えた。

煙草のせいや精神のせいだけではなくて、本当に老けたんだと思う。

東京で電車に乗って、切ない気持ちになってふと前を見た時に、車窓に反射する自分の顔が思い通りでないことに少しだけ絶望し、イライラする。

東京は憧れる街でしかない。憧れは幻滅するものだ。

東京の電車に乗って、座っている人が席を立った時に隣の人がはじに寄る制度を初めて目にしたのだけど、今も彼らのやっていることの意味が全然分からない。別にそこに座ったならそのままでいいじゃないか、人間たちは何を気にしているのか。

「はじ」っていうのは漢字変換できると思ったらできなかったので、標準語では「はし」なのだろう、私は田舎者だ。

 

この前母が東京に来て、一緒に銀座に行ったりした。私は今も関東のことを東京だと思っている。大学受験の時になってさえ、私は西日本全てを関西だと言い続けていた。当時高校時代の友人たちにその話をしたけれど、された人々が覚えていそうにはない。私はかなり記憶力がある方だと思う、ワーキングメモリはない。

 

 銀座の本屋に行って、有楽町のカフェにモンブランを食べに行ったのだけど、そのモンブランは全然美味しくなかった。

昔母が祖母と一緒に食べたモンブランで、それは祖母にもっと大きいのを食べれたと言わしめたらしい。その日は祖母の誕生日だか命日だかだったらしいけれど、私はそのことを全然知っていなかったし、それを聞いたあとにモンブランを食べたせいで、感受性を倍増させることになった。

甘すぎたし、栗はのっていなかったし、ラム酒が効いていなかったし、メレンゲがくどかったし、多分作ってからかなり時間が経っていた。

30年前の味がそのままだなんてことはそうそうないだろうけど、夫がそれなりのところに勤めていて子供を迎えに行くまでのあいだ暇を持て余した主婦が社会適合者として話をしたり、若者が付き合って2.3ヶ月のあいだにデートしたりするには、かなり感じのいいカフェだったので、それが私には不満だったし、母も妹もきっとすこしかなしかっただろうと思う。

 

こないだ祖父の命日で、私は妹に言われるまで全然思い出しもしていなくて、これが私と妹の差だよと思った。これは母方の祖父の話だけど、私は父方の祖父の命日も祖母の命日も覚えていないし、覚えていたとしてもきっと何も考えたり思ったりしなかっただろう。母方の祖父のことが私は大好きだったし尊敬していたし、ときたま祖父の書いたものを読んだりして号泣したりすることがあるけれど、そういうのを私は一瞬で忘れてしまう。本当に、洗濯物を干したりしているあいだに泣いていたことを忘れてしまって、なんか鼻が変だなと思ったらさっき泣いたんだった、と思い出すくらいで。これが妹との差だよ。

 

わたしはこの歳にしてはわりと沢山葬式に出ている方だと思うけど、ほとんど何も覚えていない。最近葬式とか法事とかに出て、なんかそれっぽかったりカッコよさそうだったりするようなことを毎度考えるけど、そういうのはなんか自分が理性しか持っていないみたいで嫌になって、そのあと変に洗い物をしたりとかしてしまう。

 

人が死ぬことの何が私はかなしいんだろう。

死にたいと私に言った人に対して、昔は死なないでと言っていたけど、今は何も言わない。私に何か言う権利があるだろうか、ないだろう(反語)

でも人が死んでいくのはかなしいと思う。でも、それは仕方のないことだ。そこから何か引き出せることは何もなくて、だから生きている人は頑張ろうとかは言いたい人が言えばいいし、悲しい人は悲しめばいいし、無関係な人は無関係に生きていけばいいし、無関係な人が責任を感じたり感情を抱いたりしても別にそれは構わないことだと思う。そういうことを考える権利さえ、もしかしたらないかもしれない。

 

最近「亡くなる」という表現をしたくなくなった。なんか感情を無理矢理込めすぎているような気がして私はもう使えない。葬式で丁寧にしなければならない時でさえ、きっと私はそういう言葉遣いをできないだろうと思う。でもそれ以上に何か必要なんだろうか、死は、人間でも虫でも関係性みたいなものでも、事実でしかないと思う。

 

私がこないだ死にたいと言ってた時、友人たちに甘えだとかそれは違うやろとかフェイク野郎とか色々言われたんだけど、もう何が何だか分からない。言われた時はそれなりに精神にも身体にもこたえたけれど、今は世界が、あらゆることが遠すぎて、マジで何も分からないし。

タバコをやめろと言う時の理由と死ぬなと言う時の理由は同じようなもんだと思う。タバコをやめる理由、「臭いから無理」ということなら分かるけど、私のことを考えてやめろって言うやつはよく分からん。あまりロジカルではないと思うし、これをロジカルに言うことはできなさそう。普遍的に妥当するものではないから。それは自殺にも言えると思う。自分の気持ち以外に、人に個人的に何か言えることがあるだろうか。

 

 

最近マジで人間の考えていることが分からない。

金持ちはいきなり3万とかくれるし、クソ高そうなホテルを予約してくれたりするけど、人間にも金にも性にも関心がないので、笑って意味が分からないと言われる。この前「見た目は貧相だけど顔が明るいから一貫性がない」って言われて、自分では太っており顔は暗いと思っていたので痩せて暗くなろうと思った。何って、私は人と話す時顔が明るくなるんだろうしコミュニケイションもまあまあできるので、普通気味悪がられるようなことでも、笑って意味が分からないと言われるに止まるということ。こういうのを私はやめたいと言っている。

 

痩せたいけど全然痩せない、京都に行くまでに40キロになってほしい。もちろん可能的な世界ではある。死ぬ気でやれ。

 

京都にお盆前に行くけど宿がないので宿を提供してくださる方は言ってください。見苦しくないくらいには痩せたいと思っている。オフパコみたいなことはできないのでそういうのは無理だ。そういうのってなんかいいんですか?性をやっている人は何をやっているんだ、金があり性をやっている人の人生の意味はなんなんですか、教えてくれ。

 

というか、それまでかなり仲がよかったのにセックスしたら関係が微妙になって疎遠になってしまう、みたいなの、小説の中であったとしても高校生くらいまででしょ世の中もっとクソ適当に回ってるかと思ってたよ。世の中がどうでもよすぎる。江國香織の小説に出てきた、リスカ入水自殺した少女になりたい。彼女は美しい少女だった。はたからみて無に見える人が、本当はどうなのかとか、分からないですよね。

 

自分は別に高級で美味しい料理を昔から食べていたわけではないけど、結構舌が肥えてるらしくて、1万8千円の割烹を食っても全然美味しいと思わなかった。普通にぼったくられてるだけかもしれない。食事以外にデートの誘い方を知らない人間が社会を回している。それは間違いないと思う。私は食事をしたくないんだ。

  

明日は妹が吹奏楽のコンクールで、そのために地元に帰ってるんだけど、青春を閉じ込めた薬を飲んで自殺したい。私は今色々なものをもっていて、素晴らしい環境で自由にやらせてもらってることは間違いないのだけど、たまに何ももっていないし全て投げ捨てたくなる。人生はそういうものだと思うので、その乗り越え方を知りたい。

 

別に今はつらくないので、これからも元気にやっていくし、普通に来週は激頑張り屋さんになるよ。

 

最近世界が予定調和なんだと思うことが増えて、それでも私が何かできるとしたら、人に優しく誠実に接する以外にないんだなと思うことが増えてきた。歳をとったんだと思うけど、そのうちまたイライラしたら人に当たったりすると思う。早寝早起き朝ごはんラジオ体操していくぞ。あと、寝る前には小説でなくカントを読むべきだよ。